眼科医のための「医療過誤訴訟」入門 「インフォームドコンセントー説明と同意」について 医学博士     岩瀬 光 (1)インフォームドコンセント(Informed consent)の概念:  日本語としては「十分な説明と理解に基づく同意」と訳すと正確だと考えるが、慣例に 従い以下「説明と同意」とする。  硝子体手術に関するインフォームドコンセントを示した判決があるので、判決本文より 引用する。「医師が患者に対し、手術等の医的侵襲を加え、そのため生命身体等に重大な 結果を招く危険性が高い場合には、その重大な結果を甘受しなければならない患者自身に 手術を受けるか否かについて最後の選択をさせるべきである。そのため、医師はその手術 の目的、内容、危険性の程度、手術を受けない場合の予後等について、十分な説明を行い、 その上で手術の承諾を得る義務がある。」とのことである。(名古屋地裁昭和59年4月 25日判決)即ち、手術を受けるかの自己決定の前提としての十分な情報提供と、十分理 解した上での同意と考えるべきである。なお、以上の内容は「手術」で書かれているが、 手術以外の場合も危険性の差はあるが、同様に考えて良いと思う。  合併症については、確率の高い合併症は危険性が低くとも説明すべきであり、確率の低 い合併症であっても危険性が高く失明につながるようなものは説明すべきである。  その「説明と同意」の大事な部分は文書でなされるべきである。単に「手術の結果につ いて一切異議を述べないむねの誓約書」は公序良俗に反し無効とされている。  説明は原則として医師が行うのが適切であるが、診察時間には限りがあるので、文書化 をした上で看護婦等補助者に指示して説明させることはできると思う。ただし、もし補助 者が間違った説明をしたり、説明を怠ったときは、補助者のなした過失について民法715条 の「使用者責任」を問われることがある。  さて、失明という結果が生じ損害賠償訴訟が起こった場合、インフォームドコンセント が十分なされていても、術前・術中・術後のどこかに医師の過失(例えば無菌操作の不十 分さ)が認定され、その過失と損害とに相当因果関係があれば損害賠償は免れないのは、 当然である。  インフォームドコンセントが為されていなければ、手術操作に過失がなくても(本当に 過失が無いと言うよりも、過失を患者側が証明できない場合と考えるべきである)「説明 義務違反」により、そのような危険な手術を回避する機会を奪われたとして、最低限慰謝 料という形で(まれに失明の損害まで認めることがあるが)損害が認定される場合が多い ようである。医療関係の弁護士によると、裁判所は「説明義務違反」を、「灰色心証」で 医療側に「慰謝料という形でも良いから」幾らか払わせたいときの便法に使っている感が あるとのことである。(一種の弱者たる患者救済とも考えられるー損害賠償がまともに認 められれば数千万から数臆程度の金額になるが、慰謝料となると数百万程度の金額にな る。)  従って、いずれにしても、インフォームドコンセントをしておくことは「(いっさい責 任を免れるとの)免罪符」を得ることではなく、「最低限必要な手続き」と考えるべきで ある。  インフォームドコンセントを、単なる医療側の自己保身の一手段と考えるのは妥当でな いと思う。インフォームドコンセントを通じて、信頼感のある医師患者関係ができ、共に 病気の克服にあたってゆける協力関係ができれば理想的である。 (2)インフォームドコンセントに関する眼科関係の判決1ー糖尿病網膜症に対する硝子体手 術のインフォームドコンセントー名古屋地裁昭和59年4月25日判決:  1事件の概要:Xは、左眼が幼児期からほとんど視力のない弱視であったが、右眼の視 力も低下したのでYの病院を受診した。診察の結果、右眼の視力は0.06であり、眼底所見は 視神経乳頭から黄斑部にかけて繊維血管性の膜が一面に張りめぐらされ黄斑部が引張られ て網膜剥離が生じており、糖尿病性網膜症増殖期の末期の状態であった。  YはXを入院させ右眼の硝子体手術を施行したが、手術の際に網膜から出血し、失明す るに至った。  2判決の内容:本件当時、Xのような末期(重症)糖尿病性網膜症に対する硝子体手術 は成功率が約30%という低い成績で、高度の技術を要し、手術が成功しても視力の回復 が得られないこともあり、かつ、術中・術後の合併症の発生する可能性がある危険な手術 であったことがうかがわれる。  そこで、医師の一般的責務と、Xの左眼が幼児期からほとんど視力のない弱視であり、 右眼が唯一の頼りであったことを併せ考えると、YはXに対して、本件手術の目的、内容、 危険性の程度(成功の見通し、視力回復の見通し)、手術を受けなかった場合のXの病態 の予後等について十分な説明を行ったうえ手術の承諾を得る義務があったものといわなけ ればならない。  『しかるに、Yは「心配はない、私にまかせておきなさい。」と言っただけで、上記説 明義務を十分に履行しなかったことにつき過失がある。』として、YはXに、精神的苦痛 に対して慰謝料金300万円を払うべきとした。 (3)インフォームドコンセントに関する眼科関係の判決2ー放射状角膜切開術(以下、RK 手術)にたいするインフォームドコンセントー大阪地裁平成10年9月28日判決:  1事件の概要:被告Yはエステ・美容整形・近視手術専門の眼科等を経営する大阪の営 利企業であり、RK手術担当医師は眼科専門医でなく、眼科の基礎的訓練も受けておらず、 RKの訓練も外国で短期間受けただけであり、その為RK手術自体も粗雑かつ未熟でなも のであった。端的に言えば、営利に走った企業がおこした「粗雑RK手術の事件」と言う ことができる。  XらはYの経営する医院でRK手術を受けたが、効果がないばかりか、術後の極度の遠 視化、不正乱視による矯正視力の低下、近方視の障害、昼間・夜間のコントラスト感度低 下、夜間中心グレア等の合併症が生じた。  2判決の概要:とりわけ、RK手術においては、眼という代替性のない視覚器の正常な 眼球に手術操作を加えるものであること、手術の結果正視と言われるプラスマイナス1D の範囲内に入る確率が60ないし70%程度とされRK手術後の屈折値の予測が困難であ ること、合併症が発生すること、一度手術を受けると元に戻すことのできない手術である こと、等を考えると、十分な説明と同意が必要であると考える、とした。  もう少し、具体的に述べれば、手術前に、RK手術が眼鏡・コンタクトレンズのように 確実に予定通りの近視改善効果が達成されるものではないこと、また合併症で視力障害の 発生する危険のありうることを十分かつ具体的に説明し、その上で、患者がこれらの判断 材料を十分に吟味し、近視矯正のための自己の必要・希望を勘案してRK手術を受けるか どうかの判断をさせるようにすべき注意義務が医師側にある、とした。  本判決では、Y側が誇大宣伝をしたこと・手術のプラス面のみを必要以上に強調し手術 をたくみに勧誘したこと・同意の猶予を与えず来院即日に手術をしたこと等を認め、「事 前告知義務違反」(説明義務違反と同内容と考えられる)の過失があるとした。Xらは、 この手術を回避する機会を奪われたというべきであるから、その結果被った損害につき賠 償を求めうる、とした。(本判決では、慰謝料だけでなく、視力障害を一部認めることで 損害賠償を部分的に認めている。) (4)各種手術・検査等におけるインフォームドコンセント:  眼科の全ての疾患に対するインフォームドコンセントについて解説することは、紙面の 都合で不可能なので、有用な一書を紹介する。「眼科オピニオン6インフォームドコンセ ント、中山書店」である。各疾患、手術につき各専門家が丁寧な説明をしているので、一 読の価値があると思う。最後に、これから増加し、問題も起こりうると思われるLASIK手 術のインフォームドコンセントについて解説する。  (5)LASIK(Laser in Situ Keratomileusis)手術におけるインフォームドコンセント:  日本でもLASIKを行う施設が急激に増加している。他方、既に大阪でLASIK手術被害者 による集団訴訟が起きている。(また、営利企業による手術であるが。)RK手術判決で述 べたように、屈折矯正手術は、もともと正常の、矯正視力は良い目に行う手術であるから、 術前に十分時間をとって十分な説明と理解を得るのが特に重要である。  もう少し、具体的に述べれば、手術前に、LASIK手術が眼鏡・コンタクトレンズのよう に確実に予定通りの近視改善効果が達成されるものではないこと、また合併症で視力障害 の発生する危険のありうることを十分かつ具体的に説明し、その上で、患者がこれらの判 断材料を十分に吟味し、近視矯正のための自己の必要・希望を勘案してLASIK手術を受け るかどうかの判断をさせるようにすべき注意義務が医師側にある。 説明すべき点を、個別に述べると、1LASIK手術のやり方、適応。2手術後、老視 年齢になった場合老眼鏡が必要なこと。3手術中、一時的に眼圧が上がるため緑内障の 悪化があり得ること。4角膜フラップが切れてしまうことがあり得ること。5矯正度 数が予定より少なかったり、多くなることがあること。6新たな乱視が出ることもある こと。7角膜フラップにつき感染の危険があること。8手術後、わずかに近視側に戻 ることがあること。9矯正視力が1段階または2段階低下する場合があること。10 グレアを感じることがあること、等である。  いずれにしても、十分な説明の後、患者さん自体の主体的判断で手術を受ける決定をさ せることと、手術の結果に対して過剰な期待を持たせないようにすることが大事であり、 それがトラブルを避けるポイントとなると思う。