白内障術後眼内炎の法律的諸問題 |
I はじめに |
白内障の手術技術は向上し、手術時間も短くなり、乱視等を含めた視機能の満足度も向上している。その成功率は90数%を超え、医者の行う手術の中で最も成功率が高く、また満足度の高い手術と言われる。
しかし、確率は0.4%にも満たないながら、術後眼内炎が発症し、最悪術眼が失明かそれに近い状態になった場合、期待が大きいだけに患者さん並びに家族の失望は大きく、訴訟問題になるケースが多い。
今回は、白内障術後眼内炎を起こした事例A・事例Bを紹介しつつ、眼科専門医がいかにして術後眼内炎を防止できるか,また眼内炎が発生したとしてもどうすれば過失を免れることができるかを考えてみたい。 |
II 術後眼内炎の発症頻度 |
IOL挿入が一般的になる前の1950-1970年代には術後眼内炎の頻度
は平均0.35%であったが,1990年代の報告では0.03-0.2%であり、現在でもなお500眼ないし300
0眼に1眼の発症があるものと考えられる。 |
III インフォームドコンセント |
判例から引用すると「手術等の医的侵襲により生命身体に重大な結果を招く危険性が高い場合には、患者自身に手術を受けるか否かについて最後の選択をさせるべきである。そのため、医師はその手術の目的、内容、危険性の程度、手術を受けない場合の予後等について、十分な説明を行い、その上で手術の承諾を得る義務がある。」とのことである。即ち、手術を受けるか否かの自己決定の前提としての情報提供を目的としたものと
考えるべきである。
具体的には、確率の高い合併症は危険性が低くとも説明すべきであり、確率の低い合併症であっても危険性が高く失明につながるようなものは説明すべきである。
ア)術後眼内炎
イ)駆出性出血
ウ)破嚢・チン氏帯断裂・硝子体脱出
等が後者の例で、これらについてはその確率・その場合の治療法・予後等について説明すべきと考える。
術後眼内炎に付いては、まず、自分の病医院での発生頻度を示し、頻度は低いが失明の危険があることを明言すべきである。しかし同時に、その発生を防ぐために術前の無菌法・術中の清潔保持・眼内灌流液への抗生物質添加など最善の予防措置をとっていることを述べるべきである。その上で、患者さんと家族の自由な判断に任せ、手術を受けるか否か決めてもらうのが妥当である。
その「説明と同意」は文書でなされるべきである。単に「手術の結果について一切異議を述べないむねの誓約書」は公序良俗に反し無効とされている。
説明は原則として医師が行うのが適切であるが、診察時間には限りがあるので、文書化をした上で看護婦等補助者に指示して説明させることはできる。
事例Aでは、眼内炎後失明という結果が生じ損害賠償訴訟が起こった。インフォームドコンセントは十分なされていたが、術前・術中に医師の過失(術前無菌操作の不十分さと破嚢後の処置の不十分さ)が認定され、損害賠償が認められた。
事例Bでは、インフォームドコンセントが為されていず(手術の危険面の説明がなかった)、
この場合は手術操作に過失がなくても(本当に過失が無いと言うよりも、過失を患者側が証
明できない場合が多い)そのような危険な手術を回避する機会を奪われたとして、慰謝料という形で損害が認定された。
従って、インフォームドコンセントをしておくことは「免罪符」を得ることではなく、「最低限必要な手続き」と考えるべきである。 |
IV 術後眼内炎の起炎菌の動向 |
原の報告1)によると、グラム陽性菌が75%を占めコアグラーゼ
陰性ブドウ球菌等が多いが、90年代になって第3世代セフェム系抗生剤に感受性のないメチ
シリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)や腸球菌が増加している。術前・術中・術後のの使用薬
剤の選択には留意すべきである。事例A・Bとも腸球菌が検出された。 |
V 術前消毒法 |
結膜嚢内の点眼による消毒と眼瞼の消毒が大事である。(点滴だけでは不十分
である)具体的には、手術3日前よりオフロキサシン等の点眼、オフロキサシン眼軟膏の上下
眼瞼への塗布は有効と思われる。オフロキサシンは腸球菌に感受性がある。特に眼瞼皮膚は
細菌量が多いこと、眼瞼皮膚は時間とともに細菌が増加するのでドレープを用いて眼瞼皮膚
を完全に覆い手術機械やIOLが触れないことが重要である。事例Aでは、術前点眼の不十分さ
も過失の1つとして認められた。 |
Y 術中灌流法 |
更に、眼内炎予防の為に術中眼内灌流液内にゲンタマイシンとバンコマイシン
を注入する方法が注目を集め、眼内炎防止に効果があるとの報告がある2)。万能ではないが、
眼内炎を減少させる方法として考慮に値する。事例A・Bとも術中灌流をしていない。 |
Z 術中操作 |
眼内に菌を持ち込まないと言う立場で考えると、前房中への器具の出し入れの煩
雑なほど、手術時間の長いほど、感染の危険は増加する。使用する器具はできるだけ数を減ら
し、できればディスポ製品を用いる。破嚢、前部硝子体切除術による頻雑な器具の出し入れが
重なれば感染の危険は更に増大する。事例Aは未熟な術者が破嚢後の硝子体吸引などに手間
取り術中操作も多く、手術時間が60分にもなり、感染との因果関係が認められた。 |
[ 術後の観察 |
ここでは、急性術後眼内炎を中心に述べる。術後1日ー2日での発症が多いので
(多くは1週間以内に発症する)、術後数日から1週間ぐらいは毎日でも診察をするのが理想である。特に問題になるのは木曜日・金曜日に手術をして眼内炎が土曜の午後から日曜日にかけて発症した場合である。事例Aは金曜日手術、土曜日夜眼内炎発症の事例だが、入院していたものの、眼科医が不在で眼内炎の発症を見落とした。最初の症状として重要な「眼痛」の訴えがあった時、速やかに眼科医が駆けつけ診察をする体制の不備が過失とされた。看護職員が痛み止め内服のみで医師に連絡しなかったことに、民法715条「使用者責任」も認められた。最近増えている外来手術の場合、更に問題は深刻である。手術数日後の「急激な視力低下」や「眼痛」が眼内炎の発症を意味するとの患者教育(インフォームドコンセントの一部と考えるべきである)と、眼科医への緊急連絡法の確立(特に夜間や休診日)が重要であり、これなくして外来手術は恐ろしくてできないと考えるべきである。 |
\ 眼内炎の治療 |
眼内炎が発症した場合、できるだけ速やかな硝子体手術と抗生剤による洗浄
が必要である。統計的には、眼内炎発症後24時間以内の硝子体手術の結果がよいとされている3)。従って、前述したように、眼内炎の早期発見の体制と同時に、硝子体手術が土曜の午後でも休日でもできる体制が不可欠である。事例Aでは、上記眼内炎の発症見落としの結果、硝子体手術が眼内炎発症から48時間後に近く、この点でも過失が認められた。特に、外来手術で硝子体手術設備の無い診療所等では、緊急に他に硝子体手術を依頼できる環境の構築が必要である。 |
] 最後に |
術後眼内炎は、白内障手術を行う者にとって永遠の課題であり、抗生剤の開発が進んでも「菌交代現象」が有る限り無くなるものではない。過失を避けるために、まず術前・術中・術後の予防体制の確立と、眼内炎が発症した場合の迅速な対応が望まれる。
文献
1)原二郎:起炎菌の変遷と術前消毒の効果眼科手術, 11: 159-164, 1998
2)古賀貴久,清水公也,小松真理:白内障手術後眼内炎の発生頻度と予防眼科手術, 11: 175-
178, 1998
3)Laatikainen L, Tarkkanen A: Early VitreCtomy in the treatment of post-operatiVe purulent endophthalmitis. ACta Ophthalmol. 65: 455-460, 1987 |
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