眼科と医療事故
I はじめに
私は、法学部を卒業してから医師になった関係上、法学部同級の弁護士の推薦もあり「医療問題弁護団」に参加して、主に眼科関係の医療事故について法律的かつ医学的なアドヴァイスを弁護士さんにしている。これまで多数の眼科関係の医療事故を分析した経験と、過去の判例分析を通じて、医師(眼科以外の医師の事件もある)が過失を起こしやすい眼科領域の場面が明らかになってきた。そうした場面を提示して、眼科医並びに眼科関係の患者を診ることになる他科の医師の医療事故防止の参考にしたいと思う。以下は、目の部位別または疾患別に分けて論ずる。
II 緑内障関係の医療事故
緑内障の医療事故の原因は「診断」が54.6%と多い(以下全ての統計数字は日本眼科医会調べ)。
1)眼科医については、慢性の開放隅角緑内障の見落としが過失として認められた判決(大阪地裁、昭和54年3月23日判決)がある。事案は複雑であるが、求心性視野狭窄を訴える患者に指圧法を行ったのみで、眼圧計(シェッツまたはアプラネーション・トノメーター)を使用しなかったことに過失を認めた。
過失を避けるためには、初診時のスクリ−ニングとして全員に対する眼圧測定(ノンコンタクトでよいと思う、幼児にできないのはやむを得ない)、その後も年数回はスクリーニングとしての眼圧測定(特に40歳以上の患者)、可能な限り視神経乳頭の観察などが大事である。患者から「最近見にくい、かすむ」との訴えがあった場合、視力の他にアプラネーション・トノメーターによる眼圧測定と、できれば視野検査が望ましい。
2)非眼科医の場合、急性閉塞隅角緑内障の見落としに付いての有名な判決がある(三宅島緑内障見落とし事件ー東京地裁、昭和39年6月13日判決)。以前よりXは三宅村の診療所に一人で勤務する産婦人科医Yの診療を受けていたが、昭和31年1月12日、Xは発熱・充血・頭痛・目の圧迫感・嘔吐を訴えてYを受診した。Yはインフルエンザと高血圧によるものと考え、その治療を行った。やがて、Xが上京して大学病院で診てもらったところ、急性の閉塞隅角緑内障であったことが分かったが、既に失明していた。
判決では、辺鄙な場所のため専門外の医師が診療せざるを得なかったこと、眼圧測定器などの診療器具の不備であったことを特段の事情として認め、Yの過失を認定しなかった。 しかし、この事例はやむを得なかったかもしれないが、「目の充血、視力低下、頭痛、目の圧迫痛、吐き気、嘔吐」で来診した患者を専門外の医師が「急性胃腸炎」などと診断する事の無いよう、学部教育・卒後教育における眼科医の役割は重要であると考える。
3)しかし、近年「手術」・「治療」による医療事故も増えている。
急性閉塞隅角緑内障発作に対するレーザー虹彩切開術(laser iridotomy,以下LI)後、何年も経ってから水疱性角膜症が生じる症例が増加しており、訴訟も起きている。急性発作時のLIは角膜が混濁し、角膜内皮と虹彩表面も接近していることから、予防的LIと比べて困難なことは事実である。しかし、術後の水疱性角膜症を防ぐ意味で、LI時の正確なピント合わせと、照射エネルギーを最小限にとどめる(最大でも10ジュール以下に抑えたい。直径50μm、照射時間0.02seC、出力1000mW、照射数500発で総照射エネルギーは10ジュールである。)ことが、特に急性例では望まれる。
4)マイトマイシンC(以下MMC)使用による線維柱帯切除術後の、瀘胞よりの眼内炎の発生が訴訟問題になっている。事例はアトピー性皮膚炎患者で、続発性緑内障に対してMMC使用による線維柱帯切除術を角膜下方に行った後、低眼圧になったため圧迫眼帯をしている内に、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)による眼内炎が発生したものである。
アトピー性皮膚炎患者の皮膚では、10%程度にMRSAが検出されたとの報告がある。また、MMC使用による線維柱帯切除術では、使用しないものに比べ感染症がおよそ2倍との報告がある。更に、角膜下方の瀘胞の場合、角膜上方の場合と比べて数倍の感染症が発生するとの報告もある。
以上から考えると、感染症が考えられる患者に、MMCを使用して角膜下方に線維柱帯切除術を行うのはかなり危険で、術前の細菌検査、術中・術後の消毒や感染症対策が重要であると思われる。
V 角膜疾患の医療事故
角膜疾患の医療事故では、「処置」に関するものが44.2%、「診断」に関するものが21.6%をしめる。
角膜潰瘍の治療についての判決が4つ出ている。2つが緑膿菌性角膜潰瘍で、緑膿菌を念頭に置かない治療が過失とされた。1つが角膜ヘルペス、もう1つが溶連菌性角膜潰瘍の例でこちらは過失が認められなかった。
1)緑膿菌性角膜潰瘍の治療につき眼科開業医の過失を認めた判決(鹿児島地裁、昭和62年3月27日判決)がある。
判決は、上眼瞼下垂の手術後角膜が緑膿菌に感染した結果失明した事例について、「緑膿菌感染による細菌性角膜潰瘍は急速に症状が悪化し失明に至る可能性が極めて高いから、眼科開業医としては、感染が疑われる場合、菌検出以前に抗生物質の投与等の治療措置をとるべきであった。しかるに、被告医師はその原因菌が緑膿菌であることを疑うべきであるのに全く疑わず、緑膿菌性角膜潰瘍の進行を阻止するために有効な抗生剤の全身投与等の治療をしなかった点に過失がある。」とした。
また、東京地裁、昭和57年12月17日判決も、コンタクトレンズをして海水浴に行った後角膜上皮剥離になって来院し、翌日には前房混濁と前房蓄膿の症状があらわれ緑膿菌性角膜潰瘍になった事例で、「医師が角膜上皮剥離を認めたにもかかわらず、単に以前に与えた点眼薬を使用するよう指示したほかは、何ら特別の治療を施さず、病状が進行するようであれば、直ちに来院するようになどとの適切な指示もしなかった。」点に過失を認めた。
鹿児島の判決は、細菌検査の結果の出る以前の段階で医師に有効な治療行為を行うべき義務があることを明言している点に特色がある。また、東京の判決は、常に細菌感染と角膜潰瘍を想定した治療を要求している。一見軽度に見える、角膜びらんや角膜上皮剥離でも慎重な治療と予防的治療が要請されているのであり、また「病状が進行するようであれば、直ちに来院するように」などとの適切な指示の言葉も重要であることが分かる。そして細菌性角膜潰瘍が明らかになれば、幾つもの細菌の可能性を考えて、広域スペクトルの点眼・内服を使用するべきものと考える。
2)流行性角結膜炎(以後EKCと略す)治療中に溶連菌に混合感染し角膜が穿孔し失明した事例(東京地裁、昭和63年5月27日判決)と、EKC治療中に単純ヘルペス性角膜潰瘍になり視力の低下した事例(東京高裁、昭和63年11月17日判決)がある。
いずれも、結局医師の過失は否定されたが、教訓となる点がある。それは、EKC治療では通常ステロイド点眼が用いられるが、その場合に細菌や、ヘルペスなどのウイルス感染に気をつける必要があることである。特に、EKCの場合、医師も感染を恐れて細隙燈顕微鏡での診察を行わない場合が多いので、発見が遅れる可能性があり注意が必要である。ヘルペスの場合は、しっかりした確定診断の上、現在はゾビラックスの使用が可能であるのだから治療には最善を尽くす必要がある。
3)なお、最近放射状角膜切開手術(RK手術)に対する判決が出た(大阪地裁、平成10年9月28日判決)。また、LASIK(Laser in Situ Keratomileusis)手術 に関しても訴訟が提起されている。今後紛争の増加が予想されるが、十分なインフォームドコンセントと技術水準の向上が重要で、眼科学会・眼科医会レベルで対策を講じる必要がある(詳しくは本誌2001年1月号参照)。
W 網膜疾患の医療事故
ここでは、医療事故の原因として「診断」が44.2%、「手術」も44.2%の割合である。
1)「診断」に関しては、外傷後の「黄斑変性・網膜剥離等の見落とし」が問題となる。 眼球殴打後の初診時に眼底検査をせず黄斑変性を見落とした過失を認めた判決がある(東京地裁、昭和58年10月24日判決)。
Xは右顔面に投石を受けて右目付近を受傷したため、翌日Y眼科医を受診し急性結膜炎と診断され、25日間通院治療(実日数12日)を受けたが、その間1度も眼底検査が行われ無かった。1ヶ月後、Xは視力障害を主訴として他院を受診したが、黄斑変性のため視力は右眼0.02(n.C)に低下した。判決は、初診時にYが眼底検査をしていれば黄斑部に異常を発見できたとして、Yの過失を認めた。
眼球を打った患者を診るとき、前眼部を見るのは当然だが、軽い打撲と一見みえても、またたとえ乳幼児でも、まず散瞳して眼底検査をする必要がある。初診時に剥離等が無くても、再診時に剥離等が発生した事例もあるので、問診の上様子がおかしければ再度の眼底検査が必要である場合もある。
2)「診断・治療」に関して、50代男性の、初期の「老人性円盤状黄斑変性症」を「中心性網脈絡膜炎」と見誤った事例がある。
50代男性に「変視症」や後極部に「漿液性網膜剥離」が見られた時、眼科医としては、「中心性網脈絡膜炎」と「老人性円盤状黄斑変性症」の初期病変である「漿液性網膜剥離期」の双方を思い浮かべなければならない。主訴、肉眼所見だけでは鑑別診断はできない。まず、蛍光眼底撮影(以下FAG)を撮る事で鑑別診断ができると考える。その時の決め手は、「網膜下新生血管」の有無である。FAGで網膜下新生血管が見つかれば確定診断になるが、新生血管の存在が微妙な症例の場合、更に可能ならばインドシアニングリーン蛍光眼底撮影(以下ICG)を行うのがよい。ICGでの脈絡膜新生血管検出率は90%以上であると報告されている。新生血管が見つかれば、色素レーザー光凝固により新生血管をつぶすことで視力の低下を防止できる事が期待される。事例では、網膜下新生血管を見落とし、「中心性網脈絡膜炎」としてアルゴンレーザーの点状凝固を行った。
3)「手術」に関しては、糖尿病網膜症末期の患者に硝子体手術を行い失明に至った事例で、説明義務違反で医師の責任を認めた判決がある(名古屋地裁、昭和59年4月25日判決)。「医師は患者に対して、本件手術の目的、内容、危険性の程度(成功の見通し、視力回復の見通し)、手術を受けなかった場合の病態の予後等について十分な説明を行ったうえ手術の承諾を得る義務があったものといわなければならない。」と判決は述べている(詳しくは本誌2001年1月号参照)。
X ぶどう膜炎の医療事故
眼底病変が軽度の原田病に対して大量ステロイド点滴投与治療中、成人水痘に感染し、肝障害とDICで死亡した事件が裁判になっている。幾つかのぶどう膜炎について大量ステロイド投与治療が当たり前のように行われているが、病変の程度に応じては、ステロイド少量内服投与とかステロイド投与をしないとかの選択も考える必要がある。ステロイド大量投与が必要な場合でも、水痘既往歴の問診、幾つかの抗体検査、免疫力の高度な低下を考え移植医療に準じた感染防止対策が必要である。
Y 糖尿病に関する医療事故
内科医が糖尿病患者を治療中、眼科専門医への受診を指示せず、結果として網膜症治療の機会を逃し失明に至ったことに関する判例が2つある。糖尿病専門医ではこういう事例は少ないと思うが、普通の内科医が糖尿病患者を抱え込んで十分な治療もせず、眼科医にも診せない事例はまだ多いと思われる。内科医との地域における連携に眼科医も熱心に取り組まなくてはならない。
これとは別に、熱心な糖尿病医が急激に血糖値を低下させた結果、却って糖尿病性網膜症を急激に悪化させ失明に近い状態になった事例が裁判になっている。これを「糖尿病治療後網膜症」と言う。インスリン使用や前増殖性網膜症や増殖性網膜症がある事例では血糖コントロ−ルの速度を6ヶ月でHbA1C値低下で3.0%以下に抑えて治療するのが妥当とされている。眼科医と糖尿病医との連携と啓蒙が必要である。