糖尿病網膜症による血管新生緑内障に関する最初の判決の教えるもの
― 札幌地裁平成13年8月27日判決全文を読んで ―
I はじめに

 糖尿病網膜症に伴う血管新生緑内障による失明に関する判決が日本で初めて札幌地裁で出された。血管新生緑内障になった状態で眼科医を初診したものであり、そこまで眼科医に送らずに糖尿病患者を抱え込んでいた内科医の責任ももちろん重大である(臨眼2001年5月号の筆者論文参照)。けれども、これほど重症であっても眼科医は何らかの対処をし、可能な限り失明を避ける努力をしなければ責任を問われることになる。

 本判決では、原告患者側が大学病院への転医を拒んだ事実が重要視された結果、被告医師側の法的責任は認められなかった。しかし、開業医が重症の血管新生緑内障を自分で継続治療をせざるを得なくなった結果、患者左眼が失明にいたり、裁判という法的紛争が起こり、被告医師側も苦労を負わされているとの意味で、「血管新生緑内障の治療をどのようにしたらよいか。またどのように説明し大病院に転医させてゆくべきか。」に関しての重要な教訓になると思い今回取り上げた。

II 事案の概要

 1986年9月頃より、原告患者X(男性、当時33才)は70歳前後の内科医師のもとでU型糖尿病の治療を開始した。この内科医師は内服糖尿病薬のみで治療しており、10年間近くの間眼科に1回も紹介しなかった。眼科的症状は本人は自覚していなかった。内科医の糖尿病治療が内服のみで不十分な結果、血糖コントロ−ルも良くなかった。

 1995年4月14日、原告X(当時41才)は4月7日頃より左眼のかすみが生じたと訴えて、被告Y眼科医師を初診した。右視力1.5(n.C.),左0.5(0.8)。眼圧右14mmHg、左56mmHg。血圧160/90mmHg。眼底は両眼とも斑状出血、硬性白班が散在し、新生血管が視神経乳頭のまわりにあるなど増殖期の網膜症であった。左眼には虹彩新生血管(ルベオーシス)があり、眼圧も高く既にかなり進んだ血管新生緑内障になっていた。血管新生緑内障の病期は「開放隅角緑内障期」で、隅角新生血管は多数認めたが、周辺虹彩前癒着はまだなかった。即日グリセオール500CC点滴、サンピロ1%点眼、チモプトール0.5%点眼、ダイアモックス500mg/日内服を開始し、蛍光眼底造影、レーザー汎網膜光凝固も開始した。レーザー光凝固は4月24日ごろまでに両眼ほぼ終了したが6月21日頃まで断続的に続いた。それ以後は主に、グリセオール500CC点滴をするのみになった。

 1995年4月26日左眼にレーザー虹彩切開術を施行した。4月21日、5月11日、5月18日にカルテには大学病院に行くように勧めている記載があるが、原告Xは断ったとの記載はないため、原告Xが大学病院に行くことを拒否したかどうかは、はっきりしない。(但しカルテ記載は欄外に小さな字で書いてありいかにも不十分であり、不明瞭である)。5月25日A医大へY医師の紹介状を持参して診察を受けたが、原告Xは入院を断ったとA医大のB医師は証言している。その理由は大学が遠いのと、飲食店の商売を休めないとのことである(但し患者側は自分たちの方で積極的に断ったのではないと主張している)。結局被告医師Yは原告患者の診療を続行することになり、主としてグリセオール点滴とダイアモックス内服で眼圧を下げようとしていたが、下がらなかった。

 左眼の視力経過を見ると、1995年4月16日0.5(0.6)、4月24日0.6(n.C)、4月26日0.4(n.C)、4月27日0.3(n.C.)、5月1日0.1(n.C.)、5月6日0.04(0.08)、5月11日0.01(n.C.)であった。左眼眼圧はグリセオール点滴をしても50mmHg前後で下がらなかった。左眼視力は5月19日50Cm手動弁(n.C.)、6月9日30Cm手動弁(n.C.)となり、7月31日には、右眼1.5(n.C.)、左眼はついに光覚(−)即ち失明になった。6月14日、7月27日の眼底写真を見ると左眼黄斑部は病変は少なく出血もそれほどでもないが視神経乳頭が蒼白になっていた。視力低下の原因は高眼圧による視神経萎縮と考えられた。

 1995年8月11日から8月31日被告Y医院に入院し、8月11日左眼毛様体冷凍凝固を行った。しかし眼圧は術後も50mmHg台で下がらなかった。9月6日〜9月13日に再度入院し、9月6日被告医師が自院で繊維芽細胞増殖阻害薬を用いない線維柱帯切除術を行っている。術後、眼圧は一時10mmHg前後まで下がったが、9月終わりには40〜50mmHg程度まで上昇した。

 その後、1997年になって原告Xの右眼に硝子体出血が生じたため、C大学眼科で硝子体手術を受け、更に1998年にはD眼科で右眼水晶体摘出および眼内レンズ挿入を受け、右眼視力は0.6(0.8)とほぼ良好である。全身状態は1997年1月13日で随時血糖233mg/dl、HbA1C値8.6%とそれほど良くない。

V 判決の内容

1998年になって、原告患者Xは、左眼の失明は被告医師Yの糖尿病網膜症、血管新生緑内障治療の不十分さが原因であると、損害賠償訴訟を札幌地裁に提起した。

裁判では、原告患者X側は「被告Y医師は治療が困難な糖尿病性網膜症、血管新生緑内障について十分な病名、病気の内容、失明の危険が迫っている等を説明せず、大学病院にも紹介せず、ただ光凝固とグリセオール点滴を漫然と行った結果左眼は失明したのだから、被告Y医師に責任がある。」と主張した。これに対して、被告Y医師側は「病名、病状、失明の危険について十分説明し、大学病院に転医するように再三説得した。しかし、原告Xは飲食店経営の都合で当地を離れることができないとの理由で、大学病院への入院を拒み、被告Y医師はやむを得ず自院で診察治療を行ったのであるから、自分に失明の責任はない。」と主張した。

 裁判所は、被告Y医師側の主張を認め、被告に責任はないとの判決を下した。

W 判決から学ぶ教訓

(1)内科医の問題点:まず、眼科医として声を大にして言っておかなければならないのは、「内科医の糖尿病治療の不十分さ」と、「内科医の糖尿病ならびに糖尿病合併症に対するインフォームドコンセントの不十分さ」である。眼症状を自覚したのは患者の申告によれば1995年4月7日で、被告Y医師初診の1週間前のことである。しかし、仮に患者に眼症状の自覚がなくても、内科医としては十分に血糖値を下げ眼合併症等の発生を防ぐのは勿論であるが、眼合併症等の発生があり得ることを患者に告げ、眼科医を糖尿病治療の初期から受診させる義務があると言わなければならない。眼科医初診の時点で「血管新生緑内障」であった事実と「結果として失明したこと」の最大の責任者は内科医であることは、裁判には現れてはいないけれど、間違いのない真実である。眼科医としては、地域の内科医との連携、啓蒙を通してこうした「眼科医に見せないうちに眼症状が悪化する事態」を防いでいかなければと思う。

(2)紛争の原因は何か:それはインフォームドコンセントの不十分さということに集約されると思われる。患者が初診で開業医を訪れ、眼圧56mmHgの血管新生緑内障が見つかった場合、もちろんここまで眼科に見せずに放置しておいた内科医に重大な責任があることは上記した通りである。しかし、ここで眼科医は何らかの対処をして、迫り来る失明を回避する努力をしなければ眼科医の責任が問われてしまう。

 自院で、内科的コントロ−ルからレーザー光凝固、毛様体冷凍凝固術、線維柱帯切除術、硝子体手術、眼内光凝固までできる病院は自分のところで責任を持って治療することになるが、その場合でも「病名、病気の内容の説明、失明の危険(大学病院レベルでも50%程度の失明があると言われる)等」の十分な説明をした上で治療に入らなければ結果としての失明について医事紛争が起こることになる。カルテに説明の内容、患者側の反応や納得の具合についても、カルテのページを大きくとって大きな読みやすい字で記載しておくことが必要なことは言うまでもない。最近はインフォームドコンセントの内容をテープに取ったりする医院もあるようであるが、それも証拠にはなるが、まずははっきりとしたカルテの明瞭な記載こそが一番有力な証拠になることを銘記しておくことが必要である。

 ましてや、被告Y医院はレーザー光凝固装置、毛様体冷凍凝固装置、線維柱帯切除術もできると言う意味でかなり治療のできる医院ではあるが、自ずから治療には限界がある医院である。その医院で医事紛争を防ぐには、まず「正確な病名、その病気の詳細な内容の説明、失明が迫っていること(56mmHgの血管新生緑内障では放置すれば数週間から数ヶ月で失明すると思われる)等」を詳細に説明し、かつ、カルテに説明した内容と患者側の反応、理解度をはっきり大きく書き込む。裁判になったときの証拠との意味では上記したとおりカルテの「経時的(後に書き加えたとの印象を与えないような)」記載が一番重要である。

 そして、自院で対処できないと判断した場合は、最初から他病院への紹介(「転医義務」と言う)を行う方が紛争にならないと思われる。その場合、大学病院等への転医の必要性、放置した場合の失明の危険性、失明の時期まで明瞭に説明し、その内容や患者側の反応(応諾やあるいは当事例のような拒否)までも詳細に書き込む必要がある。

 ここまでやっておけば、責任を免れる以前の問題として、紛争そのものを回避できる可能性がある。そして、紛争回避の方がより重要なのである。当事例を見ても、まさに当初に説明を「言った言わない」の論争が裁判の全てとなり、その結果が裁判の勝敗を分けている。最初のインフォームドコンセントの重要性と、その詳細な内容のカルテにおける明瞭な記載の重要性が分かると思う。

(3)血管新生緑内障の治療法について:血管新生緑内障の予後は悪く、眼科医の懸命の治療があっても、かなり高い率で失明をする疾患である。しかし、眼科医の最近の治療努力により、徐々に失明率が下がっているのも事実である。最近の文献を見ると、病期の進んでいない(周辺虹彩前癒着の少ない)血管新生緑内障に対する、現在における最先端の治療法は、硝子体手術を行いながら眼内光凝固で網膜最周辺部まで光凝固を行い、さらに眼圧が低下しなければマイトマイシンC併用線維柱帯切除術を施行して眼圧を下げる方法であると思われる。この方法による視力予後は比較的良く70%近い症例で視力改善又は不変の結果を得ている(*a)、(*b)。

 しかし、血管新生緑内障に対する硝子体手術(そして眼内光凝固で網膜最周辺部まで徹底した光凝固を行う方法)は1997年以降の「医療水準」と考えられる。1995年の当事例には用いることは期待できないかもしれない。但し、血管新生緑内障に対するマイトマイシンC併用線維柱帯切除術は1993年頃には「医療水準」と言うことができ、視力予後も改善不変が50%程度である(*C)。

 本事例の場合どうであろうか。経緯はともあれ、患者の治療を自院で継続せざるを得ない状況となった以上は、被告Y医師としては自院でできる限りではよいが「失明を回避するための最善の治療をする義務」がある。初診時の血管新生緑内障は眼圧56mmHgとのこともあり相当重症である。放置すれば数ヶ月以内で失明する。そうであれば、もう少し早い時期に(視力の良い時期に)冷凍凝固や線維柱帯切除術などを行えば眼圧が下がり失明は免れた可能性はある。グリセオール点滴はしているが50mmHg前後の眼圧が変化してない以上効果は乏しいと思われる。Y医師としてはできる限りのことはやったとの思いであろうが、上記手術を視力の良いうちに行えなかったとも思う。

X 最後に

以上、治療の当初にインフォームドコンセントを詳細に行うこと、その内容を明瞭に詳しくカルテに書き込むことで、医事紛争の発生を防止できると考えられることが、この事例の判決から学ぶ最大のものと思う。さらに、症例の治療の時期を遅らせないことも重要であると考える。

 また、今後の課題としては、糖尿病の眼症状が悪化する前に眼科医に送るような、内科医に対する啓蒙や地域における内科医との協力体制の確立が重要な問題となると考える。

文献
(*a)土屋貴子・小出健郎・玉井裕子・他:糖尿病網膜症における血管新生緑内障に対するトラベクレクトミーの手術成績眼紀 52:206-209、2001
(*b)清水由花・伊野田繁・林みゑ子・他:増殖糖尿病網膜症に伴う虹彩隅角新生血管に対する硝子体手術の長期予後眼紀 52:131-136、2001
(*C)桐生純一・高木均・辻川明孝・他:増殖糖尿病網膜症における血管新生緑内障に対する線維柱帯切除術の成績眼紀 48:1417-1419、1997