白内障術後眼内炎に関して医師の過失を認めなかった判決の教えるもの
ー千葉地裁松戸支部、平成14年3月29日判決ー(東京地裁判決と比較しながら)
I はじめに

千葉地裁松戸支部から白内障術後眼内炎に関する判決(以下、松戸支部判決)が平成14年3月29日に出された。白内障術後眼内炎に関しては2つ目の判決と考えられる。白内障術後眼内炎について最初に出された東京地裁、平成13年1月29日判決(以下、東京地裁判決)が医師の過失を認めた(本誌2001年10月号筆者論文参照)のに対し、この松戸支部判決は医師の過失を認めなかった。後述するように、この2つの事案は「時間経過」が極めて似ているが、医師の対応には差があった。2つの判決の結果を分けた点はどこにあるのかを分析し、眼科専門医の今後の対応の参考にしたいと思い筆を取った。

なお、東京地裁判決もこの松戸支部判決も双方控訴せず確定している。

II 事案の概要

原告Xは手術当時56才の女性で、糖尿病の治療を受けていたが、糖尿病性網膜症は認められなかった。平成8年7月11日(木曜日)、主治医A医師執刀で右眼の白内障超音波乳化吸引術、眼内レンズ挿入術が行われた。乳化吸引中に後嚢が破嚢したため、シュリンゲで白内障を摘出し、その後人工レンズが入れられた。

7月12日(金曜日)朝の診察では、特に異常は認められなかった。7月13日(土曜日)午前9時頃B医師が診察したところ、角膜後面の豚脂様沈着物が3プラス、前房内微塵様物質が2プラスと認められたが、角膜は透明で眼底は透見可能であった。B医師は眼内炎を疑うべき状況ではないと判断したが、同日朝で中止する予定の抗生剤の点滴を継続とし、さらにC医師に翌14日(日曜日)朝の診察を看護婦を通して依頼した。

7月13日(土曜日)午後3時頃、原告Xは右眼の眼痛、ごろつき感を訴え、更に午後5時頃右眼の視力低下を訴えたが、医師の診察はなかった。

7月14日(日曜日)午前10時頃、当直のC医師が診察。右眼に角膜浮腫、角膜後面沈着物、前房蓄膿が認められ、角膜浮腫のためか眼底はぼんやりしか見えなかった。電話によるB医師の指示で、抗生剤の点滴を続行し、タリビット点眼、コリマイC点眼を追加処方した。主治医A医師に電話連絡したところ不在のため、事態を留守番電話に吹き込んだ。7月14日午後10時過ぎに帰宅した主治医A医師は留守番電話を聞きすぐ病院に向かった。

7月15日(月曜日)午前零時頃、主治医A医師は原告Xを診察した。前房蓄膿、硝子体混濁、角膜上皮浮腫などを認めたため、セファメジンの結膜下注射を行った。原告Xには本日中に手術になることを予告し、大学病院に連絡して、硝子体手術の器械の借り出しと医師の応援を要請した。

7月15日(月曜日)午前7時30分頃、主治医A医師は大学病院に赴き、再度硝子体手術での医師の応援を依頼した。同日午前9時頃、A医師は原告Xを診察したが、前房蓄膿の状態は変化がないため、チェナムの点滴を行った。その後午前10時頃超音波検査、網膜電位図の検査を行ったところ、硝子体の混濁が見られ、網膜の反応は低下していた。 A医師は硝子体手術を決意し、同日午後4時、A医師と応援医師の2人で硝子体手術が行われた。右眼内レンズを摘出した後、硝子体切除を開始したところ、網膜上に炎症に伴ってできたと考えられる膜状の強い堆積物があり、出血も認められ、網膜剥離の危険があった(下方の網膜は一部剥離していた。)ことから、硝子体を完全に除去することはできずに、手術は終了した。

なお、硝子体液、前房水の細菌検査を行ったがいずれも陰性であった。 術後も、抗生剤の点滴、抗生剤の硝子体腔内注射が行われたが、結局原告Xの右眼は失明に至った。

V 判決の内容

(1)松戸支部判決では、東京地裁判決で争点とされた「術前点眼の行われなかったこと」、「術中破嚢と眼内炎との因果関係」の点は争点にならなかった。

(2)争点の1は「白内障手術以降硝子体手術直前までの医師の対応(診察、検査)が適切であったか否か」である。7月13日(土曜日)午後3時頃原告は軽度の眼痛とごろごろ感、視力の低下を看護婦に訴えているが、医師が診察しなかったのは事実である。しかし、13日午前のB医師の診察時、炎症が少し増えたにつき、中止予定の抗生剤の点滴を継続し翌14日(日曜日)朝のC医師の診察を指示しているのであるから、13日午後診察がなかったからと言って不適切であったとはとは言えないし、7月14日(日曜日)午前10時、15日(日曜日)午前零時、同日午前9時に医師が診察し、抗生剤点眼追加や、抗生剤点滴の継続、抗生剤の結膜下注射を行ないながら経過観察を行ったことも不適切とは言えない、と判決は述べている。

(3)次に争点の2は「硝子体手術の実施時期が適切であったか否か」である。7月13日(土曜日)午後3時には軽度の眼痛があり視力低下が生じ、7月14日(日曜日)午前10時には、角膜浮腫、角膜後面沈着物、前房蓄膿が観察され、眼底もぼんやりとなり、7月15日(月曜日)午前零時には前房蓄膿、硝子体混濁、角膜上皮浮腫が認められ、15日午前9時の診察時では、前房蓄膿は変わらず、超音波検査では硝子体の混濁が、網膜電位図で後眼部の網膜の反応の低下が認められているから、そのころには炎症が後眼部に波及していることをうかがわせる状態であったということができる。細菌検査の結果菌が検出されていないが、前房蓄膿や眼底透見度の低下から「感染性眼内炎」の所見と矛盾するものではない。

眼内炎診断後、より早期に硝子体手術を実施した方が失明の危険性がより低いことをうかがわせる報告はあるものの、硝子体手術の実施時期と術後視力との関連については未だ確立された知見は認められない。また当時、硝子体手術の実施時期に関する明確な一般的基準があったとも認めがたい。そうであれば、7月13日(土曜日)午後からの炎症の増悪から、7月14日(日曜日)午前10時の前房蓄膿の発見に対して、広範囲に有効な抗菌薬の点滴の継続を行い、また点眼、結膜下注射で対処し経過観察を行い、7月15日(月曜日)午前に硝子体手術を最終決断し、15日午後4時に硝子体手術を行ったことは、医師の対応として不適切とは言えず、もっと早い時点でこれを実施すべきであったとは言えない、と判決は述べて、全体として医師の過失はなかったと判定している。

W 松戸支部判決から学ぶものー東京地裁判決と比較してー

(1)東京地裁判決と松戸支部判決の時間経過を表1で比較してみた。いずれも木曜日手術、術中破嚢、土曜日午後眼内炎の最初の症状が出現、硝子体手術は月曜日午後、結果として失明の事案である。

一般論として言えば、東京地裁判決の紹介(本誌2001年10月号)でも述べたが、術中破嚢による眼内炎の増加(オッズ比14倍1))の危険性の認識は重要である。原因は鳥もち状の硝子体内に細菌が入ることにあるとされる2)。術中破嚢があった場合、術後観察は眼内炎を前提にしながら行う方が安全と思われる。また、急性術後眼内炎が術後数日で起こることが多いことから、木曜日・金曜日に手術を行なった場合、土曜午後、日曜日の診察体制、不在の医師への連絡体制の整備が問題となる。看護職員への眼内炎教育と医師との連携は特に重要と思われる。更に、外来手術を行っている場合は問題は深刻で、「眼痛」「視力低下」などの症状があった場合、いかに医師へ連絡を取ってもらうかの対策と、硝子体手術設備がない場合、硝子体手術医との連携体制の構築が重要になる。

(2)では、再度表1を見て、両判決例の違う点を考える。東京地裁判決例では土曜の午後も日曜日一日中医師は来ていない。松戸支部判決例では、土曜日の午後の「眼痛」の訴えに対して医師が来ないことは同じであるが、土曜の午前の前眼部炎症増加に対して、中止予定の抗生剤点滴を続けたこと、日曜日朝の診察を別の医師に依頼した点がまず異なる。この結果、後者では、日曜日朝には眼内炎が発見され、そのため抗生剤点滴が継続され、更に留守番電話経由で遅くなりながらも、主治医が月曜日午前零時に診察することにつながった。主治医は月曜早暁の時点で硝子体手術の準備にかかっている。

結果として、硝子体手術の開始は、東京地裁判決例とほとんど同じ時刻であるし、失明の事実も同じであるが、その治療経過において、松戸支部判決例によりきめ細かさが感じられる。裁判官が違う事例とは言え、経過としての治療のきめ細かさと、誠意に関しては、裁判官の心証は松戸支部判決例の方によりよく、結果として「医師に過失は無い」との判決につながったのではないかと推測する。

X さいごに

白内障手術中に後嚢破嚢は一定割合で発生するし、眼内炎もいくら予防策とっても01%前後の割合で発生する。そして、眼内炎に対して可能な限り早く硝子体手術を行っても失明を避けられない場合もある。術前・術中・術後の感染予防策に様々な対処をすることと、眼内炎を念頭に置いた注意深い術後診察が必要なことは言うまでもないが、一端眼内炎が起こった場合に関しては、早期発見、早期治療、誠実な対応以外無いのではないかと思う。東京地裁判決例も松戸支部判決例も紛争になり訴訟になっている原因は、眼痛や視力低下の起こった時点で、医師の来てくれなかったことに対する「不安感」、「不信感」であると思う。「眼痛」、「視力低下」が起こったとき、早期に医師の駆けつける体制ができ、早期に眼内炎を発見し、早期の硝子体手術等の治療を行えれば、うまくすれば失明を防止できる可能性はあるし、仮に不幸にして失明に至っても紛争にならない解決もあり得ると思う。2つの判決を比較しながら、そう思った。


文献
1)ビッセン宮島弘子:眼内手術や穿孔性眼外傷後に起こる眼内炎の診断、治療、予防の最新概念についてあたらしい眼科、12:773-777、1995
2)秦野寛・佐々木隆敏・田中直彦:緑膿菌性眼内炎の実験的研究ー硝子体内接種による病像、眼内生菌数,ERGー日眼会誌、92:1758ー1764、1988